Inter BEE 2025 幕張メッセ:11月19日(水)~21日(金)

キャプション
Industry Curation 2025.07.11 UP

【Inter BEE CURATION】ロシアの暗殺計画を描く 『ナワリヌイ』から『Antidote』へ

小林 恭子 GALAC

IMG

※INTER BEE CURATIONは様々なメディアとの提携により、Inter BEEボードメンバーが注目すべき記事をセレクトして転載するものです。本記事は、放送批評懇談会発行の月刊誌k「GALAC」2025年7月号からの転載です。

英国で相次いだ毒殺事件

 「暗殺リスト(Kill List)」。そんな題名のドキュメンタリーが先日、英テレビ局「チャンネル4」で放送された。副題は「プーチンのスパイに狙われて」。このところ「ロシアのプーチン政権=悪」というイメージがすっかり定着してしまった英国に住む筆者は、「プーチン」「暗殺」「スパイ」という言葉に大いに興味をそそられた。

 ドキュメンタリーの冒頭、ニューヨークのとあるビルのエレベーターの中に男性が立っている。オフィスに入ってドアを開けると、携帯でどこかに電話する。電話に出たのはオーストリアに住む父親だ。男性がまだニューヨークにいることを伝えると、父親は驚く。
「どうして? 帰ってくるはずじゃなかったのか」。男性は自分が「暗殺リスト」に名前が入ったことを父に告げた。米国からウィーンに向かう飛行機に乗る直前になって、米情報機関から「戻れば、命が危なくなる」と警告されたのである。動揺する父親に男性はこう言う。

 「相手をつかまえてやる」。男性の名前はブルガリア生まれの調査報道ジャーナリスト、クリスト・グロゼフ氏。暗殺対象になったときは、英国発祥の調査報道サイト「べリングキャット」のリーダー役として働いていた。英国でプーチン政権の恐ろしさが広がったのは、複数の毒殺及び未遂事件の発生がきっかけだった。
2006年、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の流れを組む連邦保安局(FSB)の元職員で、英国に家族とともに亡命していたアレクサンドル・リトビネンコ氏が毒殺された。

 ロンドン市内で飲んだ緑茶に猛毒の放射性物質が混入され、緊急入院した後に亡くなった。16年、英国政府が設置した独立調査委員会は、FSBの指示で物質が混入した可能性が高いと結論づけている。
プーチン大統領が「おそらく承認していた」と。18年には英南部ソールズベリーで元ロシア軍情報機関大佐セルゲイ・スクリパリ氏と彼の娘が神経剤「ノビチョク」で襲われ、一時意識不明の重体となった。被害にあった英国人女性が一人、亡くなっている。実行犯はロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の将校らだった。

 プーチン政権の「最大の政敵」と言われたのが、日本でもその名が知られた反体制活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏である。20年、同氏はロシア国内を飛行機で移動中、体調が悪化。治療のために転院したドイツの病院で、体内からノビチョクと思われる神経剤の成分が検出された。
回復後の翌年、モスクワに戻ったナワリヌイ氏は空港で当局に逮捕され、22年に詐欺罪で有罪に。23年12月、北極圏にある刑務所で死亡した。ロシアの調査報道サイト「ザ・インサイダー」は捜査当局の文書を入手し、政権側が発表した自然死ではなく毒殺だったと報じた。

 今年3月、ロシア当局のためにスパイ行為をしていたブルガリア国籍の在英男女数人に有罪判決が下ったが、グループが監視していたのはべリングキャットのグロゼフ氏とザ・インサイダーの創設者ロマン・ドブロホトフ氏で、拉致や殺害も計画の中にあった。

家族と離れ離れになりながらも

 グロゼフ氏はラジオ業界でジャーナリストとしてのキャリアを積み、2015年からベリングキャットに参加。堪能なロシア語を生かし、ロシア関連の調査で活躍した。
映画『ナワリヌイ』にはグロゼフ氏とナワリヌイ氏が神経剤攻撃に加わった人物を探し当てる場面が入っている。家族とともにウィーンに住みながら、グロゼフ氏はべリングキャットの活動にのめり込んだ。彼の息子によれば、「権力に挑戦すること」が痛快だったようだ。

 プーチン政権の暗殺リストに入ったグロゼフ氏は、自宅に戻れなくなった。妻や娘とは電話で話すだけだ。自分の安否を気遣っていた父の連絡も突然途絶えた。さて、どうするのか。グロゼフ氏はニューヨークに住み続けながら、父の無事を願い、家族と離れ離れの生活の辛さに苦しむ。グロゼフ氏がいつかは殺害されるのではないかとハラハラしながら、筆者は物語を追った。

 一方、ロシアでは別のことが起きる。自分が開発に関わったノビチョクが暗殺に使われたことを知った科学者が、亡命を試みるのである。果たしてこの科学者は亡命できるのか、そしてグロゼフ氏はどうやって殺害計画を振り切るのか。
さらに、プーチン政権に二度も毒を盛られたうえに投獄された政治活動家ウラジーミル・カラムルザ氏の処遇も描かれる。監督は英ドキュメンタリー作家ジェームズ・ジョーンズ。制作は秘密裏に行われ、制作スタッフ間の連絡は暗号を使ったという。

 ポストプロダクションの作業はオフラインで進めるほど念を入れた。ドキュメンタリーは『Antidote(解毒剤)』として米国で今年春から公開されている。英国ではロンドンのクラブ「フロントライン・クラブ」で上映された。日本でも公開してほしいものだ。

【ジャーナリストプロフィール】
こばやし・ぎんこ メディアとネットの未来について原稿を執筆中。著書に『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』(中公新書ラクレ)、『英国メディア史』(中公選書)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)。新刊『なぜBBCだけが伝えられるのかー民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)。

IMG

「GALAC」2025年7月号

【表紙/旬の顔】森田望智
【THE PERSON】塚原あゆ子

【特集】決定!第62回ギャラクシー賞

テレビ部門
ラジオ部門
CM部門
報道活動部門

志賀信夫賞
フロンティア賞
マイベストTV賞グランプリ

選考を終えて
桧山珠美/桜井聖子/家田利一/古川柳子

【連載】
番組制作基礎講座/渡邊 悟
テレビ・ラジオ お助け法律相談所/梅田康宏
ダラクシーの秘密基地/ダラクシー賞選考委員会
イチオシ!配信コンテンツ/鈴木健司
報道番組に喝! NEWS WATCHING/高瀬 毅
国際報道CLOSE-UP!/伊藤友治
海外メディア最新事情[ロンドン]/小林恭子
GALAC NEWS/長井展光
TV/RADIO/CM BEST&WORST
BOOK REVIEW『異端-記者たちはなぜそれを書いたのか-』『今、ラジオ全盛期。-静かな熱狂を生むコンテンツ戦略-』

【ギャラクシー賞】
テレビ部門
ラジオ部門
CM部門
報道活動部門
マイベストTV賞

  1. 記事一覧へ