11月18日~2021年2月26日

沿革

放送機器展(当時名称)は、1965年(昭和40年)秋、社団法人日本民間放送連盟(民放連)からの呼びかけで第2回民放技術報告会の併設展として、東京・虎ノ門の発明会館において出展者12社でスタートしました。

第2回(1966年)の開催にあたり、民放連と電子機械工業会(現:一般社団法人 電子情報技術産業協/JEITA)との共催となり、第3回(1967年)より、当時、新しくオープンした東京・北の丸の科学技術館に会場を移し、第4回(1968年)には主催を電子機械工業会、運営を日本エレクトロニクスショー協会とし、民放連は協賛団体として開催するようになりました。

その後、第10回(1974年)から日本放送協会(NHK)も協賛団体となり、放送機器ユーザを対象とした専門展示会として注目されるようになり、国内展としての地位を確立してまいりました。

第11回(1975年)に特別展として併設した「これからの放送 ― テレビ多重放送」の公開実験が注目を集めると、13回目(1977年)から出展者数・来場者数共に劇的な伸びを示しだし、14回目(1978年)からは海外からの出展も増え、同時に海外来場者も増加へと向かいました。

第18回(1982年)からは会場を東京・平和島の東京流通センターに移し、科学技術館の2.5倍に展示スペースを拡張いたしました。また、会場移設を契機に、海外からの参加者増を受けて名称を現在の「国際放送機器展(Inter BEE)」といたしました。

この頃に展示部門をプロオーディオ部門、放送関連機材部門、カメラ・VTR・スタジオ装置部門、の3部門構成として専門性を明確化しました。これによって、来場対象者は、放送局からソフト制作会社、CATV関係、公共施設、放送設備導入会社など、広範な分野に広がりを見せるようになりました。

第21回(1985年)からは会場を東京・池袋サンシャインシティのコンベンションセンターTokyoへ移し、展示スペースを13,000平方メートルに拡大いたしました。また、出展者数は250社を超え、国際展示会として国内外に認知されるようになりました。この時期から放送機材カタログ集の発行、国際シンポジウムなどのイベント開催、来場者の完全登録制などの様々な新しい施策を実施してまいりました。

第26回(1990年)からは現在の幕張メッセに会場を移し、展示スペースは20,000平方メートルとなり、以降、約5年毎に展示ホールを1つずつ増床し、規模を拡大してまいりました。来場者数は、第34回(1998年)より3万人を超え、放送機器分野の展示会としては、米国のNAB、欧州のIBCに並ぶ展示会に位置づけられるようになりました。

第36回(2000年)より、BSから始まった放送のデジタル化の流れは放送業界に大きな変革をもたらし、様々なデジタル機器の提案が相次ぎ、放送業界はもとより周辺の業界や新たなビジネス機会の創出に大きな影響を与えてきました。

第43回(2007年)より放送以外へのメディアの広がりを考慮して、展示会名称として「Inter BEE」を全面に打ち出し、Websiteでの情報発信を強化するため、「Inter BEE online」を立ち上げ、出展情報や取材記事、会場取材レポート等を記事と動画で紹介しはじめました。

第44回(2008年)にはプロライティング部門を新設し、映像と照明のコラボレーションを訴求する機会を提供するとともに、展示領域の拡大を進め、来場者数は3万5,000人を超え放送業界を中心に多くのメディア関係者の関心を集める展示会となりました。そして、翌年の第45回(2009年)には出展者数がはじめて800社を超えました。

第46回(2010年)よりアジアマーケットへのアプローチを積極的に進め、この年の韓国イヤー企画を皮切りに年ごとに特定の国・地域を選定して、現地のユーザの来場誘致、現地企業のパビリオン出展の誘致を強化しました。

地上デジタル放送へ完全移行(東北3県を除く)した2011年の第47回では、アナログ停波後の周波数帯を活用する新たなメディアの動きや、デジタルコンテンツを放送以外のビジネスで活用する提案などを集約したクロスメディア部門を新設し、IPTV、Mobile TV、デジタルサイネージ、デジタルシネマ、3D、デジタルコンテンツ等を網羅するメディア総合展示会を目指す取り組みを推進しました。

世界最先端の技術が披露されるInter BEEは、プロフェッショナルのニーズに応え、国内外のマーケットを視野に、業界情報を着実にターゲットへ発信し、出展者と来場者の皆様にとって、効果的で有意義な情報交流やビジネス創出の場をご提供してまいります。