【コラム】破滅への道をたどる日本の家電業界:負けを認め道を見つめ直せ

2013.1.18 UP

1990年8月に発売された「パームトップ」(ソニー)

 新年から景気の悪い話をしよう。いや、新年だから将来のためにこの話をしよう。
 家電・電子、そしてソフトウェア産業は、国際的競争力を失い産業としての存続も危うくなりつつある。放送機器業界は競争力を保つが、背後を支えた業界が崩壊しては、もう日本に在る理由もなくなる。海外勢の強さと自らの失敗に目をそらさず、状況に直面し一刻もはやく家電・電子、ソフトウェア産業を立て直さないと、放送機器産業の存続も危うくなる。
(日本大学 生産工学部 講師/映像新聞論説委員 杉沼浩司)

■屈辱的格付け水準
 日本の家電業界が大変なことになっている。大手のうち1社が複数の格付け会社により投機的水準とされ、2社が一部より投機的水準とされた。これは業績不振による赤字、という単純な事象を捉えた結果ではない。中長期的に赤字からの脱却が難しく、会社経営が存続しなくなることも十分に視野に入れよと周囲が勧められたに等しい。格付けは成長性などを示してはいないが、債務の履行能力に大きな疑問符をつけた。日本を代表する家電企業が、ここまで債務不履行の可能性が指摘されたことは、恐らく過去には無かっただろう。
 巷間、この不振はテレビ事業が原因とされる。しかし、事情は単純なものではなかろう。確かに、テレビは莫大な赤字を計上している。これはテレビに限ったことではなく、日本の家電企業の思考形態の象徴であり、それが世界から「ノー」を突きつけられているのだということを理解しなければ、対策は対症療法に終わるだろう。

■空疎な高級品化
 テレビ市場で海外勢の躍進が続くと、国内各社は「高級品化」で利益を確保するとの方針を打ち出した。「高級なテレビ」とは何ぞや。そして、その高級なテレビが、消費者に対して既存のテレビを捨ててまで乗り換える価値を提供できるのか、という考察は深められずに言葉のみが独り歩きした感がある。
 しかも、「スマートテレビ」は海外勢が先行した。完全な負け、である。アナログ時代は、ブラウン管の方式が違うことでも画質は違った。しかし、デジタル時代の今、画質の差を付けようにも触れる部分は少なくコストは高い。例えば、高画質化LSIを新たに開発すれば、開発費だけで何百円もの負担上昇を招く。製造原価の上昇を含めれば、販売価格は1万円近く上昇するだろう。ネット通販で1円の安さを求める消費者にとって、1万円の違いは大きいはずだ。新興国の消費者にとって、これは決定的な差額となる。
 このような数字の議論の前に、そもそも「消費者が高画質化でハッピーか」「有効な差が付けられるか」「それでもやる」の検討が十分にあったか。「高品質」「高付加価値」のお題目だけで突き進んでいなかったか。敵地の地図も持たずに戦端を開いた70年前との類似を感じてしまう。

■次が無い
 大型商品の創成に失敗したのも、家電業界敗因の一つだろう。突然変異的な隆盛を見せたスマートフォンは、日本からは生まれなかった。PDA誕生の頃からスマートフォンは予見されていたが、エレガントな形にまとめたのはアップルだ。
 国内携帯電話市場は、その不自然な構造からメーカーが自由に企画、発売することが事実上できなかった。恐らくそれが無くとも当時の日本企業の気力、能力からしてスマートフォンを企画し作り出すことは無理だっただろう。できるのはOSを買って来て小さな箱に入れ込むところまでで、大きな体系(システム)の一部としてのスマートフォンを企画、開発することは無理だった。
 なぜか。それは、人材がおらず、活かせないからだ。アップルは、シリコンバレーで200名を集めてiPhoneを作った。日本では200名の携帯電話開発者は集まらないだろう。世界から集めても、そこからの発想を受け止める力が母体企業にない。
 正常進化を続ければスマートフォンになったと期待されたのが、1990年8月に発売された「パームトップ」(ソニー)だ。B5版弁当箱サイズだが、モデムも内蔵した通信可能な電子手帳だ。開発を主導した土井利忠氏(後に同社上席常務)は「ソフト仕様は公開して、アプリを作って貰えるようにします」と、当時筆者に語っている。アップルからPDA「ニュートン」が現れたのは、この2年後のことだった。
 携帯電話市場は、スマート化が急速に進展しているが、日本企業は完全に乗り遅れた。「できるはずない」(2003年某社幹部インタビュー時)と言って試みもしなかった。その結果、新機能を提案し自在に埋め込む立場は取れていない。
 今から、iPhone、アンドロイドに勝負は挑めないのか。挑めないと考えるところで既に市場を失っている。小さな国内市場向けに3社も4社も同じようなアンドロイド端末を作っていては将来はない。世界で使って貰えるスマートフォンのために知恵を絞るべきで、特徴のないスマートフォンを国内で毎年買い換えさせようと考えていてはすぐに先細るだろう。

■深刻な大学力低下
 産業界に人材を供給する大学の力も低下している。長年海外取材を行っているが、日本の大学から目を見張る発表が現れなくなっている。
 取材を続けている分野の一つでは、試作ではなく、効果の測定や証明が求められる潮流になっている。しかし、10年以上前の「作れば論文が通る」という認識で研究し、投稿してくる日本の研究者がなんと多いことか。その結果、学会の会場で日本の発表があるのは「デモコーナー」のみになってしまった。そして、そこに現れるものも、一発芸であり、永続する真理の緒を掴んだものではない。同じデモコーナーにあっても、例えば米マイクロソフト・リサーチの教育用のツールを出展して利用を呼びかけている姿がある。一発芸はたとえ連続しても何も残らないが、教育用ツールは長く世界の人に使われてゆくと同時に、貴重なフィードバックも得られる。この価値の違いは大きい。
 昨今、3Dプリンターが流行り、大学でこれを利用した活動を華々しく公開するところもある。しかし、これは単なる利用に過ぎない。海外の先端大学は、3Dプリンター用の新たなCAD方式(数学、工学両面)を研究している。「与えられた装置を使うだけ」の日本の大学と、「その装置を更に巧みに使うための方法を考える」海外の大学。どちらに将来性があるかは明らかだ。
 企業活動にも通じるが、日本からの研究は重箱の隅をつついたものが目立つ。日本の学界が重箱の隅をつついている間に、海外勢は重箱の外に新たな入れ物を作っている。
 例えば、顔認識などはデジカメの標準装備だが、認識技術を飛躍的に向上させた2つの要素はいずれも海外発である。それらを用いて、微調整して精度、確度を上げることは得意だ。しかし、飛躍的に向上させる部分では影が薄い。これは一例に過ぎず、電子、ソフトウェア工学などで同様な傾向が見られる。
 大学教育では近年実質授業日数は増大している。それでも海外の学生に劣るのは何故か。勉強している事にずれはないか。「真剣さ」などという精神論ではなく、学習量の違いや到達目標の違いを冷静に分析する必要がある。「日本の大学生は賢いけれど、大学で勉強しなかっただけ」という根拠の無い結論でお茶を濁さず、徹底的に分析、対応しないと産業界は海外からの調達に走るだろう。

■分析しない報道
 最後に、分析を行わない悪癖は報道界にもあることを指摘したい。工学系では中小零細企業への感情的偏重という形で発露している。「○○地区の中小企業が無くなったら、△△が作れない」というような報道があるが、これは共同幻想である。機械工学的には誰でも作れる。ただし、納期と価格の関係でお願いする先がその地域の企業になるだけの事だ。徹底的に職人技を排除し、資本投下を行って数値化設計を推進した金型設計企業の成功は「職人幻想」を打ち破ったはずだ。報道界はこの事実に目をつぶっている。人間の価値は、新しい方法を開拓するところにある。機械を使うだけならば、一定の習熟を積めば到達できるし、新興国の発展がそれを裏付けている。
 ベンチャーが、数値性能がよいものを作ると大々的に報道される。一般に、製品のためには多くの安全策が必要で、その結果数値性能が上がらないものが多い。試作品の数値性能だけで決まれば苦労はない。最近の一部の大学やベンチャーは報道慣れしていて、目を引く形で発表してくる。報道側も、見抜く力を養うなどの対応が必要だが、記事を見る限り対応は途上のようだ。

■インテリジェンスを
 確かに、今日の時点では日本でしか作れないものがある。どの条件がどう変われば海外勢が迫るか、常に思考実験を繰り返し対策を考える必要がある。これらの分析と提言を担当する部署こそ「戦略部」である。戦略の意味を解さず拡声器役が司令塔だと思い込みふんぞり返っていた戦略部門は、経営層への情報および方策の提案機能(=インテリジェンス)を持たなければ存在の意味はない。過去の延長の経営を行い、適切な研究投資を怠ったツケが今、重くのしかかっている。成功には応えず、失敗には厳しかった人事で、企業内の人的資源も枯渇している。加えて度重なるリストラの結果、イエスマンのみが会社に残る。これでは軌道修正はできず、破局への道へ一直線だ。
 今年で失敗を食い止めなければ産業が危ない。過去を断ち、スピードを上げよ。インテリジェンスを備えよ。産業界、目を覚ましてくれ。

#interbee2019

  • Twetter
  • Facebook
  • Instagram
  • Youtube