【レポート】マイクロソフトの基礎研究拠点 「マイクロソフト・リサーチ・アジア(MSRA)」(北京)訪問レポート(2)

2012.3.29 UP

画像1:辻井潤一氏
画像2:松下康之氏

画像2:松下康之氏

画像3:BainingGuo氏

画像3:BainingGuo氏

画像4:XinTong氏

画像4:XinTong氏

■日本との繋がりが深いMSRA
■優れた日本の研究者が参画

 世界各地のMSRや大学とのコラボレーションのもとで進められているMSRAの研究開発は、いうまでもなく国際的な規模だといえるが、マイクロソフトがあえて“アジア”に研究開発の拠点をおいたところには、やはりアジアに焦点を当てたコラボレーションとそのもとでの研究開発というものへの期待があった。

 中でも極めて重要視されているのが、日本との繋がりだ。日本の大学との間でインターンなども頻繁におこなわれており、さらにMRSAの正式なメンバーとして極めて重要な役割を果たしている日本人もいる。
 その代表格として今回まず紹介されたのが、計算言語学の分野において多大な功績を収め、特に機械翻訳システムの研究においては世界的なリーダーシップをとってきた辻井潤一氏だ。
 京都大学、英国マンチェスター大学、東京大学を経て、2011年4月からMSRAの主席研究員に就任した同氏が取り組んでいるのは、テキストの意味処理をより知的なウェッブサーチに適用する研究だ。現在はその地盤作りにあたる時期でもあり、優秀な中国の学生や若い研究者、日本からのインターンを交えて、自らのグループを徐々に作りつつある。


■機械翻訳システムの研究者 辻井氏
■「言葉の意味が分かる計算機」開発へ

 今後はこのグループを指導して、ちょうど昨年大いに話題となったIBMのワトソンのような、言葉の意味がわかる計算機システムの研究開発を行ってゆく予定だという。実際のところMSRAにはかねてから自然言語やウェッブ関連研究にも力を入れており、辻井氏のプロジェクトには、その上をゆく新たな方向性の展開として大きな期待がかけられているようだ。一方の辻井氏も、上記の方向性の研究はすでに東京大学で教鞭をとっていた時期から手がけていたそうで、今回のプロジェクトはその延長上にあるともいえるのだが、「今の北京は一時たりとも止まることなく常に動いている」という言葉の裏には、新たな地で新たな挑戦に賭ける心意気のようなものが感じられた。


■松下康之氏 コンピュータビジョンの最新領域を開拓
■ワシントン大、トロント大との共同研究で論文発表

 そして、もう一名、MSRAの今後を担う研究を率いている日本人として紹介されたのが、ビジュアルコンピューティング・グループのリード・リサーチャーを務める松下康之氏だ。
 同氏の専門はコンピュータ-・ビジョン。東京大学で学士・修士・博士課程をすごし、博士課程時代にインターンとしてMSRAを訪れている。そして、2003年に博士課程を終えるとすぐにMSRAに加わった。

 ビジュアルコンピューティング・グループはまさにコンピュータビジョン・グループに相当するものだというが、就職先としてMSRAを選んだことを “勇断”と評する人々も多かったようだ。実際のところMSRAにはまだまだ中国以外の国の人々は極めて少ないという。だが、松下氏の選択にはれっきとした理由があった。
 最大の理由といえるには、松下氏が入社した当時MSRAを率いていたHarry Shum氏の存在だった。Shum氏はコンピュータ-・ビジョンの分野で世界的な功績を残してきた研究者で、その研究内容も含めて松下氏はかねてからこの人物に対して敬意を抱いていたようだ(松下氏がMSRAをインターンで訪れたときにはShum氏はビジュアルコンピューティング・グループのマネージャーを務めており、このときにすでに面識をもっていた)。

 日本には企業としてコンピュータ-・ビジョンに深く取り組んでいる研究所があまりなかったという背景もあったようだが、直接的にはShum氏の存在こそが松下氏をMSRAに導いたといえる。きわめて単純明快な動機ともいえそうだが、社内がすぐれたエキスパートで占められているという体質はその後のMSRAにも受け継がれているようで、松下氏自身、決して期待を裏切られることのない研究生活を送ることができたようだ。「もし自分が日本で研究をしていたら現在の三分の一ほどの研究成果しか残せなかったと思う」と同氏は語っている。

 松下氏が現在専念しているのが、Inverse Light Transportというコンピュータ-・ビジョンの分野でも非常に新しい理論の研究とその応用だ。理論そのものは同氏とワシントン大学およびトロント大学の研究者の共同研究によってつくりだされたもので、3名の共著による論文が2006年にコンピューター・ビジョンの分野の最高峰にあたる学会(ICCV)で発表されている。
 これはグローバル・イルミネーションのような物理的に正確なCGレンダリングの逆にあたるもので、写真の情報からそこに写っている物体の見え方をつくりだすために光が辿った経路を推測するものだ。このような推測をもとにすると、コンピュータ-・ビジョンの分野で目指されているさまざまな目標(たとえば写真に写っている物体の形状や質感の復元など)をより高精度にそして効率的に達成することができる。
 非常に基礎的な理論ながらも、汎用性が高くなおかつ大きな潜在能力が期待できるものであるだけに、今後のプロジェクトに導入してゆく意向であるそうだ。


■研究所内で活発に行われる異分野の交流
■松下氏の新理論がKINECTプロジェクトに反映も

 ビジュアルコンピューティング・グループはグラフィックス・グループとも関わりがあり、頻繁にコラボレーションをしているという。
 グラフィックスの技術が画像を生成するための技術であるのに対して、コンピュータ-・ビジョンは画像から何かを推定するという逆問題を扱う分野だが、この知見がグラフィックスへの応用へ生きる場合も多々あるからだ。
 さらに、後述するように、これまでフォトリアリスティック・レンダリングやリアルタイム・レンダリングに重きを置いてきたグラフィックス・グループだが、このところComputational Photographyというテーマにも手を伸ばしはじめた。コンピューター・ビジョンの考え方をうまく生かしてCGレンダリングの自由度や効率を高めようというのがComputational Photographyのフィロソフィーであるだけに、コンピューター・ビジョンの知識やこの分野で培われてきた技法の数々は、グラフィックス・グループにとってますます重要度が増してきているともいえそうだ。

 もともと松下氏が得意としてきたフォトメトリック・ステレオの手法(写真に写っている物体の3D形状を復元する手法)は、目下グラフィックス・グループが大きな使命を担っているKINECTプロジェクトで非常に重要な役割を果たす。松下氏が研究中の新たな理論が、MSRAにおけるグラフィックスのプロジェクトに反映される日も決して遠い日のことではないのかもしれない。


■世界最高峰のグラフィクスに関する研究開発を推進
■多岐にわたるCGの表現手法を切り開く

 これまで見てきたように、MSRAがカバーする領域は非常に多岐にわたっているのだが、今回の訪問の最大の目的は、やはりグラフィックス・グループの活躍の原動力と今後の展望を探ってくるところにあった。その要望に答えるべく、インタビューに応じてくれたのは、同グループを率いるマネージャーのBaining Guo氏とチーム・リーダーのXin Tong氏。

 Guo氏は北京大学を卒業後、米国コーネル大学で修士・博士号を取得。カリフォルニアにあるインテル社のマイクロコンピューター・リサーチ・ラボを経て、1999年にMSRAに加わった。Guo氏のコーネル大学時代の研究テーマがサーフェースのモデリングやボリューム・レンダリングなどであったことは、同氏が率いるMSRAグラフィックス・グループの得意分野に反映されているという見方もできなくはない。
 実際のところ、このグラフィックス・グループがSIGGRAPHなどで頭角を現しはじめるきかっけとなった論文の数々は、いずれもサーフェースの見え方のリアリズムをより効率的に高めるための独自性の高い手法で占められていた。これらの手法の考え方をボリューメトリックな表現に応用した手法も発表された。その後米国MSRとの共同研究がきかっけとなって、リアルタイム・レンダリングの研究においてもすぐれた研究成果を残すようになる。

 そして、前述したように現在はComputational Photographyの分野の研究にも積極的に取り組みはじめている。その背景には、ここにきて理論的研究のみならず、マイクロソフト社の製品を直接サポートするような技術開発にも矛先を向け始めたという背景がある。これに伴って、商品開発部門やゲーム会社との共同作業も発生するようになってきたようだ。


■積極的な外部研究機関との共同研究
■優れた才能と多様な価値・市場ニーズを貪欲に吸収

 上記のようにグラフィックス・グループの研究開発の広がりは、外部とのコラボレーションという要因に大きく後押しされてきたといえそうだが、Guo氏自身ことのほか外部との共同研究というものを重視している。
 中国内部の大学との密接な共同研究にはじまり、最近では米国やヨーロッパの大学との共同研究にも非常に積極的だ。Guo氏がこのように共同研究を重要視する最大の理由の一つは、「グラフィックスの研究に必要とされる才能とは、まったく新しいアイデアを生み出すような非常に特殊な才能で、そういった才能は決して世界の特定の場所にのみ集中しているわけではなく、世界のあらゆる場所に均等に存在していると思う」からなのだそうだ。
 そして、もう一つの重要な理由として、「理論を実用に睦びつけるためのさまざまなレベルのバライエティ豊かなショーケース」を知るという意味合いもあるようだ。中国内部では理論を実用に睦びつけるためのルートや方法論がまだ限られているため、世界のさまざまな場所に存在するレベルの違う実例を目の当たりにすることは非常に意義ある学習でもあるようだ。

 目下のところグラフィックス・グループに日本人研究者は所属しておらず日本との共同研究というものも直接的にはおこなわれていないようだが、隣接した地域にありグラフィックスの分野で長い歴史をもつ日本に対する関心は大きく、日本とのより深い繋がりを望んでいるようでもあった。もちろん、いつの日か自国で理論を実用化に結び付けるための十分な基盤が確立されてきた暁には、これまでの学習の成果を生かして、自国における実用化にも尽力したいのだという。


■研究成果が随時製品に反映
■KINECTプロジェクトでも重要な役割

 2011年以降、グラフィックス・グループが意欲的に取り組みはじめているのは、これまで論文発表してきた理論を、マイクロソフト社の商品やゲーム・プロジェクトに反映させてゆくことだ。たとえば、ゲームHallo3で用いられたグローバル・イルミネーションやダイナミック・シミュレーションは、全面的にMSRAグラフィックス・グループがサポートしたのだという。
 さらに、目下グラフィックス・グループは、マイクロソフト社が展開しているKINECTプロジェクトでもその大黒柱の一つとなる重要な役割を担っている。物体の3D情報を高い自由度でリアルタイムにキャプチャーできることが売りのKINECTだが、将来的には物体の位置情報のみならずそこから物体の形状を正確に復元しリアルな質感を加えてグローバル・イルミネーションでレンダリングすることまで目指されている。

 この“将来的”な部分は主にレンダリングに関連しているだけに、レンダリング技術の研究開発を得意としてきたMSRAに白羽の矢があたったといえそうだ。物体のリアルな質感やグローバル・イルミネーションを実装することはグラフィックス・グループが得意としてきたところだ。今回はKINECTによって位置情報を与えられたポイントクラウド(点集合)から物体の形状を正確に復元するというプロセスもうまく実装しなくてはならず、そのためにはグラフィックス・グループがこれまで慣れ親しんできたものとはまた違った “技”が必要となってくる。
 これはグラフィックス・グループにとって新たなチャレンジともいえるのだが、実際のところ同グループはすでにこの“技”に相当する技法を論文化したものをコンピューター・ビジョンの学会で発表しており、プロジェクトは軌道に乗りはじめたといえそうだ。次回は、2011年以降のこれらの新たなチャレンジの詳細を、Xin Tong氏とのインタビューをもとに紹介したい。

(写真説明)

画像1:辻井潤一氏
 計算言語学の分野で数々の栄誉ある国際的な賞を受賞し、国際会議などでもリーダーシップをとってきた辻井潤一氏は、2011年4月からMSRAの主席研究員に就任し、テキストの意味処理をより知的なウェッブサーチに適用する研究を展開している。同氏がMSRAに加わったところには、現在の北京という土地の、そしてMSRAという研究機関の、エネルギー溢れるアクティブな動きに魅力を感じたという部分が大きかったようだ。

画像2:松下康之氏
 東大博士課程時代にインターンでMSRAを訪れ、博士課程を終了した2003年にMSRAに加わった松下康之氏。学生の時に見たMSRAはアクティブな研究者が多くその仲間に入りたいという気持ちがあって就職を決めたという同氏は、ほぼ10年に渡ってMSRAのビジュアルコンピューティング・グループで活躍してきた。同氏にとって、MSRAの最大の魅力は、エキスパートの密度の高い研究環境。研究は豊富なディスカッションで大きく進むという部分があるので、この研究環境がもつ利点は大きいのだそうだ。

画像3:BainingGuo氏
 グラフィックス・グループのマネージャーのBaining Guo氏は、北京大学卒業後、修士・博士号を米国コーネル大学で取得。コーネル大学時代にレンダリング関係の研究に関わっていたことは、同氏が率いるグラフィックス・グループが同じ分野の研究開発に強いことと関連しているのかもしれない。米国のIT企業を経てMSRAに加わった同氏の視点は国際性豊かだが、逆にそれゆえにアジアにおけるグラフィックス技術やそれを応用した産業の興隆を願ってやまないというところもあるようだ。同氏が究極的に目指しているのはNUI(Natuarl User Interface)の充実だという。

画像4:XinTong氏
 グラフィックス・グループのリーダーをつとめるXin Tong氏は、中国の理工系の名門にZhejiang 大学で学士・修士課程を終了後、MSRAのグラフィックス・グループに加わる。テクスチャを用いて物体表面のフォトリアルな見え方を復元する手法やこれをボリューメトリックな表現に拡張した手法を21世紀初頭にSIGGRAPHで発表。現在はグループのまとめ役も兼ねてより幅広い分野の研究開発をおこなっている。目下最大の責務は、KINECTプロジェクトに関わる研究開発の推進であるようだ。

画像2:松下康之氏

画像2:松下康之氏

画像3:BainingGuo氏

画像3:BainingGuo氏

画像4:XinTong氏

画像4:XinTong氏

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