Inter BEE 2024 幕張メッセ:11月13日(水)~15日(金)

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Special 2021.10.13 UP

【Inter BEE CURATION】タハール・ラヒムに注目、殺人犯から無実の拘束者まで

小林恭子 GALAC

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※INTER BEE CURATIONは様々なメディアとの提携により、Inter BEEボードメンバーが注目すべき記事をセレクトして転載するものです。本記事は、放送批評懇談会発行の月刊誌「GALAC」2021年11月号からの転載で、ロンドン在住の小林恭子氏が異色の俳優タハール・ラヒムについて書いています。日本ではNetflixで配信されたドラマ「ザ・サーペント」で知る人も多いでしょう。ぜひお読みください。

BBCのドラマ「ザ・サーペント」

 タハール・ラヒムという俳優をご存じだろうか? フランスで、アルジェリア出身の両親のもとに生まれた40歳。筆者自身、彼の存在を知ったのは最近だ。気になる俳優が出てくると、検索エンジンを駆使して「この人って、パートナーはいるのかしら」とついチェックを入れたくなるときがあるものだ。ラヒムもそんな俳優の一人だ。残念ながら(何が「残念」なのか、自分でも不明だが)、彼は2010年にフランス人の女優と結婚し、一男一女をもうけている。

 ラヒムは大学で映画を学んだ後、名監督ジャック・オディアールの『預言者』(09年)で主役の犯罪者を演じた。フランス語、アラビア語、コルシカ語を話す、移民の青年役だ。作品は仏セザール賞の作品賞を獲得したほか、ラヒムは主演男優賞と有望若手男優賞を受賞して、一気に注目を浴びた。英語圏の映画ではゲール語も話し、マルチリンガルの才がある青年である。実は、黒沢清監督の映画『ダゲレオタイプの女』(16年)で初来日しており、日本にも根強いファンがいるはずだ。

 英国で広く名前を知られるようになったのは、今年元日に放送されたドラマ「ザ・サーペント」(日本では、4月からNetflixで視聴可)。サーペント(蛇)というニックネームが付く、不気味な連続殺人犯兼ペテン師が主人公だ。お正月に見たいと思うような番組ではない。しかし「怖いけど、スローバーン(じっくりと面白くなる)のすごいドラマだ」という番組評が出回るようになり、渋々とBBCのオンデマンドサービス「iPlayer」で視聴を開始した。

 時代設定は1970年代半ば。タイ・バンコクに駐在中のオランダ人外交官が旅行中に失踪した若いカップルの行方を追う。最後に姿が目撃されたのはカップルが滞在していたアパート。現地で知り合った仏人宝石商に招かれて滞在していたという。この宝石商シャルル・ソブラジを演じるのがラヒムだ。細身の体に長髪、サングラス。なんとも得体が知れない雰囲気を醸す。実は東南アジアに旅行に来た若者たちを次々と騙して死に追いやる、連続殺人鬼だった。ガールフレンドのカナダ人女性を共犯として、何のためらいもなく殺していく。客観的に見ると非常に胡散臭い人物なのだが、アジアを放浪中の欧州の若者たちは人を疑わない。宝石商はアッという間に若者たちの信頼を獲得し、手なづけた後に、残忍に殺害していく。まさに蛇を連想させる人物だ。

 犠牲者の心の中にするりと入っていくその様子、殺害に対するためらいの欠如。筆者は全8回のドラマのなかで2回を視聴した後、あまりの怖さに見るのを止めた。しかし、「最後まで見ると面白い」という感想をソーシャルメディア上で見て、しばらく時を置いて最後まで見た。確かに、回数が重なるにつれて、「怖いけれど見たい」という思いが生じる。ラヒム版ソブラジの姿が目に焼き付いて離れなくなった。驚いたことに、このドラマは実話を基にしている。ソブラジほか、ドラマの登場人物が実在するのである。この点が最も恐ろしい。物語の結末は書かないが、とにかく「怖い」ことだけは繰り返し警告しておきたい。

9・11テロで無実で拘束された男性

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グアンタナモ収容所に拘束されたモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏を仏俳優タハール・ラヒムが演じている
(映画『モーリタニアン 黒塗りの歴史』から)© 2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED

 ラヒムの新作は、日本で10月末に公開される映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』。2001年9月11日に発生した米同時多発テロ(「9・11テロ」)に関連した映画である。01年10月、ブッシュ米政権(当時)はテロの首謀者オサマ・ビンラディンをかくまっているとしてアフガニスタンに侵攻する。「テロの戦争」の始まりだ。

 02年以降はキューバにあるグアンタナモ米軍基地に収容所を作り、テロ容疑者と見なすイスラム系市民を送り込んだ。そのなかの一人が、アフリカ西部に位置するモーリタニア出身の青年モハメドゥ・ウルド・スラヒ氏。テロ組織「アルカイダ」のメンバーという疑いをかけられて、01年秋から中東の米軍秘密施設に拘束され、02年8月、グアンタナモ収容所に送られた。睡眠妨害、殴打、脅し、性的虐待、長時間の尋問を受けた。05年、米弁護士の助言で手記を書き始め、12年、一般市民がこれを閲覧できるようになったが、ページは黒塗りばかりだった。裁判で無実が証明されて釈放されたのは、16年10月。スラヒ氏は15年にわたる不当拘束・禁錮に苦しんだ。彼を演じるのがラヒムである。

 グアンタナモの拘束者が着たオレンジ色のジャンプスーツに身を包み、「ザ・サーペント」の長髪のイメージを大きく変える坊主頭で登場するラヒムは、いかなる状況でも希望を失わず、驚くほどの楽天さを維持するスラヒ青年の善良さと同時に、無実でありながら長年拘束されることへの静かな怒りを見事に表現した。『モーリタニアン』の演技で米ゴールデングローブ賞および英アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたが、受賞は逃した。紹介した作品以外では、ロマンチックな役どころもこなしている。今後が楽しみな俳優だ。

■ライター紹介
こばやし・ぎんこ メディアとネットの未来について原稿を執筆中。ブログ「英国メディアウオッチ」、著書『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』(中公新書ラクレ)、『英国メディア史』(中公選書)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)。

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放送批評の専門誌。テレビやラジオに関わるジャーナルな特集を組み、優秀番組を顕彰するギャラクシー賞の動向を伝え、多彩な連載で放送メディアと放送批評の今を伝えます。発行日:毎月6日、発売:KADOKAWA、プリント版、電子版

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